略歴: 普通のサラリーマンの父とジャズが好きだという母(がレコード等はなかった)。母方の祖母が琵琶、祖父は尺八を演奏する等音楽が趣味だったらしい(が演奏を聴いた記憶がない)。 小学生の頃洋楽に目覚める。最初に買ったシングル3枚はビートルズ「Let It be」、ジミ・ヘンドリックス「紫の煙」、サイモンとガーファンクル「明日に架ける橋」。そして中学生の時にエリッククラプトン、ジェフベックにどっぷりはまりブルースブレイカーズへ。そして本物のブルースへ。高校生のときブルースバンドを組んでいた。あの「ラウドネス」の樋口宗高ともしばらくバンドを組んでいた。 高校卒業と同時にブルースバンド「HANASHIN」に参加、そして伝説のロックフェス「8.8ROCK DAY」でグランプリ受賞。その年秋に京都大学西部講堂においてライヴレコーディングを敢行。翌78年、今は亡きトリオレコードから「BOOGIE live HANASHIN」をリリースし、メジャーデビュー。10代で日比谷野音ブルースフェスにおいてB.B.KING,Albert KINGと共演し、その後もACES、Eddie Tailer、Ortis CrayなどBlues, R&Bの大御所のツアーにOpenning Actとして参加。翌年伊藤銀次氏プデュースのもと全曲オリジナルアルバム「Dance with HANASHIN」リリース。一生懸命頑張って3年間活動したがよりオリジナル、よりロックよりの音を求め(今から考えればだけど)脱退を決意、結局バンドを解散に追い込んでしまう。その後アメリカン(サザン)ロックにディープにはまり「Sticky Swell」という3ギター,2ドラムの大編成バンドを率いて大阪を中心に活動。Lマガジン人気投票第一位獲得などそこそこ人気があった(のかな?)。 その後ソロアーティストを目指して上京、巨匠吉野金次氏(日本を代表するエンジニア)、クニ河内氏(「透明人間」「ピカピカの一年生」など多分野に作品多数)、チト河内氏(ドラマー、アレンジャー、プロデューサーでヒット曲多数。最近はブームのプロデュースなど)の仕事場に出入りさせてもらって色々と勉強をさせていただいた。石間秀樹さん(g)、篠原信彦さん(key)にも可愛がっていただいた。みんな伝説のロッカーたちだ。クニさんのところにはロック系ミュージシャン以外にもまだ無名の清水ミチ子やビジーフォーを解散したばかりのグッチ裕三さんなんかが出入りしていた。 ギタリストとしてぼちぼちとアーティストのツアーや作品に参加していたが、自身アーティストとしては煮え切らない活動をしていたちょうどその頃、北島健司の後がまギタリストを探していた織田哲郎と出会う。以降、織田哲郎& The Wild Lifeなど織田バンドのギターリスト、マニピュレーターとしてレコーディング、ツアーに参加する。 他に当時の大箱ディスコブームに乗りメーカー各社が外人ヴォーカルを起用して”洋楽のような”ダンスアルバムを多数リリースしていた。織田バンドの活動と平行してこういったアルバムの作曲、アレンジをする。ディストーションギターを多用した当時としては少し毛色の変わったものだった。 その後突如織田哲郎が活動を停止。その頃からアレンジが仕事の中心を占める様になった。 90年代以降J-POPのメインストリームで活躍。参加シングル、アルバムにミリオン多数。TUBE、T-BOLAN、ZARD、大黒摩季、WANDS、DEEN,、FIELD OF VIEW、etc.etc。 2000年に独立。音楽制作会社アワーハウスおよび“Ourhouse Studio”を設立。現在、OUR HOUSE Studioを拠点に作詞、作曲、アレンジャー及びプロデューサーとして更に多くのアーティストと関わっている。また、新人育成や葉山在住のミュージシャンたちとの活動も。更に、最近は映画や舞台の音楽制作に携わるなど活動の幅を広げている。 近況:ZARD(ビーグラム)、DEEN(BMG)倉木麻衣(ギザ)など。自身のソロアルバムを計画中。 作品参加アーティスト:織田哲郎、TUBE、大黒摩季、ZARD、WANDS、DEEN,、FIELD OF VIEW、globe、ハウンドドッグ、小畑由香里、深田恭子、Fayray、相川七瀬、倉木麻衣他多数。映画「恋の門」サウンドトラックなど。 趣味:旅行、おいしい酒と食事。2002年ヨットスナイプクラス日本選手権30位(後に28位に修正)。実は素人同然で「重り」役。同乗の470級元世界チャンプ甲斐幸氏のおかげ。ペットは犬一頭と猫4匹。
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